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- P4U | 生長の家総本山 公式サイト
P4U(Peace for Ukraine)—~ ウクライナに平和を ~ の活動をご紹介。一日も早いウクライナの平和の実現を願い、祈りと支援を続けています。 P 4 U ~ ウクライナに平和を ~ <プロジェクト概要> 2022 年2⽉24 ⽇にロシアが国際法を無視してウクライナへの軍事侵攻を開始したことにより、ウクライナの多くの人々の命が失われ、安全を求めて数多くの人が国内外に避難しています。 これに対して宗教法人「生長の家」は、ウクライナの人々を支援するため、ウクライナ支援プロジェクト「P4U――ウクライナに平和を」の実施と、ウクライナへの緊急支援募金を実施しています。(P4Uとは「Peace for Ukraine」の略語です) 詳しくは、 宗教法人 生長の家 公式サイト 「P4U——ウクライナに平和を」特設サイトをご覧ください。 2024 年3月 ウクライナ支援プロジェクト 「P4U――ウクライナに平和を」趣意書 生長の家は、谷口雅春先生が創始した昭和5年(1930 年)のときから、宗教活動の目的を「人類の光明化」に定め、戦争のない世界の実現を目指し、1993 年からは、その同じ目的をより具体化して「国際平和信仰運動」として活動してきました。本当の意味での国際平和は、国家間の武力による抑止や力関係のバランスによっては実現せず、各国や各民族間に「すべての人間は“神の子”である」との信仰が広まることによって実現すると考えているからです。 この立場からすると、今回の主権国家ウクライナに対するロシアによる違法な武力攻撃は明確な侵略戦争であるため、声を上げて反対し、その犠牲となっている多くのウクライナの人たちの窮状と悲しみを少しでも和らげるため、ウクライナへの支援活動「P4U――ウクライナに平和を」の実施を決定しました。P4Uは「Peace for Ukraine」の略語です。 生長の家では、「コトバの力」を大切にします。「コトバ」とは、口から出る発声音だけでなく、心の中で思う想念と、その想念を体で表現する行動も含みます。私たちはこの3つを総動員して、ウクライナの人たちを支援することを決めたのです。 具体的には、以下の3つです―― ◆ 募金 内外から寄付を募り、苦境にあるウクライナの人々に対して、国際人道支援団体などを通して支援金を送ります。 ◆ 友愛の情の表現 ウクライナの国旗の色を使った様々な物品を手作りし、発表します。 ◆ 学習と追体験 ウクライナは日本から遠い国であるため、知らないことが多くあります。それを知るために、その文化や民俗、産業、物産品などを学び、可能なものから自分の経験や活動につなげます。 この活動の趣意に賛同いただける方は、上の3つのうち、どれか1つでも実行に移されることで、私たちとともにウクライナの人々の支援活動に参加してください。ありがとうございます。 (宗教法人 「生長の家」) ウクライナの国旗の色を使ったクラフト作品作りを実施し、展示しました。 ウクライナカラーの千羽鶴 職員で千羽鶴を作成 2025年2月に長崎の平和公園を訪れ、千羽鶴を奉納 参加者で世界平和の祈りを行いました クラフト作品のご紹介 壁掛け小物入れ ひまわり柄のポーチ ヒノキの間伐材で作った椅子 クレイトレイ ウクライナの伝統工芸品 ピサンキ 竹で作ったペン立てと箸 ミニ折り鶴 キーフック リース 竹製の花器 ヒノキの間伐材で作ったペン立て 竹製のランタン 紙バンドで作った小物入れ ヒノキの間伐材で作ったハンガー 竹で作った眼鏡置き
- ノーミート・低炭素の食生活 | 生長の家総本山 公式サイト
生長の家総本山で実践しているノーミート・低炭素の食生活の事例を紹介。無農薬・有機栽培で育てた食材を使用した料理など ノーミート・ 低炭素の食生活 無農薬・有機栽培で行う 稲の栽培 生長の家総本山の敷地内には、神前にお供えするお米の神饌田(田圃)があります。神饌田では一年をかけ、無農薬・有機肥料、昔ながらの手作業で米作りを行っています。4月の田お起こしから始まり、5月下旬頃、苗の植えつけを行い、7月から8月頃には水田の中の草取り作業を行います。こうして太陽や水、様々な微生物、そして人の環の中で育った稲は9月下旬頃に収穫の時期を迎えます。11月の秋季大祭(例大祭)にその年の新穀米を神前にお供えして自然の恩恵に感謝を捧げています。現代の機械化が進む中、あえて手間をかけ、自然と触れ合いながら行う稲作作業は、自然との一体感を深める宗教行として練成会などでも実施されています。 稲作 春の田植え 5月になると、田んぼの準備が整い、いよいよ田植えの時期です。田起こしや代掻きを経て、まずはお田植祭を執り行います。早苗を手植えで1本1本、真心を込めて植えて行きます。作業後には水面に青々とした苗が一斉に美しく並びます。 稲作 田の草取り 夏の間、6月から8月にかけては、稲の成長を見守りながら、水の管理や除草作業を行います。 除草剤を使っていないため、田圃には草が鬱蒼と生えてきます。稲に似た稗もあり目視で確認しながら丁寧に取り除きます。草を取ることで稲に栄養が行き渡り、良好な生育につながります。 稲作 稲刈り 秋の訪れを告げる9月から10月にかけて、黄金色に輝く稲穂が実りの時を迎えます。収穫の喜びとともに、鎌を手に取り刈り取っていきます。 稲作 稲架掛け 刈り取った稲は木や竹で組んだ「稲架(はさ)」に掛け、太陽と風の力で自然乾燥させます。約2週間、天日と風でじっくり乾燥させることで、後熟が進み、うま味成分であるアミノ酸が増加し、お米の味が向上するとされています。 稲作 懸税 収穫した初穂を丁寧に束にして御神前に奉安したものを懸税(かけぢから)といいます。収穫の無事を奉告し感謝を献げます。 稲作 脱穀 脱穀には機械を使用し、リレー形式で運びながら作業を進めます。籾殻(もみがら)を取り除き、玄米の状態した後、精米します。取り除いた籾殻は畑の肥料として、藁は菜園の畝に敷くマルチとして再利用し、自然の恵みを無駄なく活用しています。 稲作 神前に奉安 収穫した新穀米を初めてお供えするのが11月に執り行われる「秋季大祭」です。「稲霊(いねち)」として御神前にお供えし、自然の恵みに感謝を捧げます。祭典後は全国の生長の家教化部にお送りしています。 境内地の自然の恵み 敷地内には、梅や蜜柑、栗などの多くの果実の樹木が植えられています。また菜園ではキュウリやトウモロコシ、サツマイモの栽培、その他、椎茸栽培も行っており、収穫物は食材として活用しています。 サツマイモの栽培 苗の植え付け 春にサツマイモの植え付けを行います。蔓は斜め45度くらいにして、葉を数枚出して他は土の中に入れます。斜めに植えることで、蔓の節からバランスよく根が出て、大きさや形の揃ったイモができやすくなります。 サツマイモの栽培 蔓返し サツマイモの蔓返しとは、伸びた蔓の節間から出る根を切って、株元への養分を集中させる作業です。蔓を裏返しにして株元に寄せることで、芋の肥大を促します。 サツマイモの栽培 サツマイモのの収穫 植えつけから約4カ月経った頃、葉が黄色くなり始めたのを合図に芋掘りを行います。スコップや手で、イモから少し離れた場所に刺して、土を掘り起こすして、傷つけないようにやさしく引き抜きます。 梅干し作り 梅の収穫 5月下旬頃、境内地にある50本ほどの梅の木には、青々とした実が成り収穫期を迎えます。職員で総出で収穫作業を行い、収穫後は傷を防ぐため、ヘタを取って、水に一晩漬けてアクを抜きます。 梅干し作り 塩漬け 梅の重さに対して10〜20%の粗塩をまぶして1~2週間ほど漬け込み、重しをして水が上がるのを待ちます。 梅干し作り 赤紫蘇の準備 梅干しを漬ける際に使用する赤紫蘇は、梅に色と風味を加える大切な役割を持っています。まず、収穫した赤紫蘇の葉を茎から丁寧に摘み取り、しっかりと水洗いします。その後、水気を切り、ボウルなどに入れて塩をまぶし、手でもむようにしてアクを出します。出てきた黒っぽい汁を捨て、さらに塩を加えてもう一度もみ、アクを取り除いた赤紫蘇を梅酢に加えます。 梅干し作り 紫蘇付け 赤紫蘇は、アクを抜いたあと梅と一緒に漬け込みます。加えることで梅干しに鮮やかな赤色がつき、風味も豊かになります。 梅干し作り 天日干し 梅雨明けの晴れた日に、梅を天日で3日間干します。風通しと日当たりの良い場所に、全体が均等に乾くように丁寧に並べて行きます。途中で上下を返して万遍なく乾燥させます。この工程を行うことで梅干しの風味を深め保存性を高めます。 梅干し作り 梅干し 出来上がった梅干しは清潔な容器に入れて保存し、食堂で提供しています。 椎茸栽培 椎茸駒菌打ち 境内地にはホダ場があり椎茸栽培を行なっています。間伐した1メートルほどの楢の木に椎茸の「駒菌打ち」を行い栽培します。駒菌(こまきん)とは、長さ約2センチメートル、直径約1センチメートルの細長い木片に、椎茸菌を培養させたものです。ドリルで穴を空け、駒菌を木槌で打ち込みます。 椎茸栽培 ホダ場の管理 駒菌を植え付けた原木は、ホダ場で約1年間寝かせておきます。気温や湿度などの条件が整うと、原木から椎茸が発生します。また、ホダ場では、原木を定期的に並べ替えて風通しの調整したり、落ち葉や雑草の除去を行うなどの管理を行っています。手入れを続けることで、数年にわたり椎茸の収穫が可能となります。 椎茸栽培 椎茸収穫 発生した椎茸は、傘が開ききる前の適したタイミングで手作業で丁寧に収穫します。傷つけないように根元からやさしく折り取るのがポイントです。 ノーミート料理として食堂で提供 収穫した果実や野菜は、神饌物として神前にお供えしています。また食材として利用し、練成道場食堂にてノーミート料理として提供しています。オープン食堂をはじめ、練成会でも旬の食材を使った料理を提供しています。 山菜 タラの芽の天ぷら タラの芽をはじめとする山菜を天ぷらにする魅力は、自然の風味をそのまま楽しめることです。ほろ苦さや香りといった山菜特有の個性が、軽い衣と揚げ油の香ばしさによって引き立てられ、素材本来の味を活かした一品になります。また、歯ごたえも程よく残り、豊かな食感も楽しめます。塩を少し添えるだけで、調味料に頼らずとも味が決まるのも魅力です。収穫したばかりのタラの芽は、さっと水で洗い、軽く水気を拭き取ります。衣は小麦粉を冷水で溶いたシンプルなものを使い、素材の風味を生かすように軽くくぐらせて揚げます。 山菜 ノビル ノビルは香りが良く、辛味もやわらかいため、生のまま食べられる春の山菜です。よく洗って泥を落とし、根元の皮を軽くむけば、味噌を添えてそのままおつまみにしたり、刻んで薬味やサラダにも使えます。シャキシャキとした食感と独特の風味が魅力です。野生のものは辛味が強いこともあるため、苦手な方はさっと湯通しすると食べやすくなります。 山菜 筍・ワラビの煮物 筍やワラビなどは、煮物にすることで旨味や香りが引き立ち、春の恵みをじっくり味わえる食材です。だしを含ませながらゆっくり煮ることで、それぞれの食感や風味が調和し、やさしい味わいに仕上がります。味がなじむほどに深みが増し、冷めても美味しくいただけるのも魅力です。自然とのつながりを感じさせ、食卓を豊かにしてくれる一品です。
- 総本山について | 生長の家総本山 公式サイト
生長の家総本山の概要をご紹介。自然環境の中で、信仰を深める場としての役割や歴史、施設について詳しくご案内しています。 生長の家総本山について 生長の家総本山は、1978年(昭和53年)11月21日に、生長の家の祭祀の中心地として落慶しました。境内地に建立された龍宮住吉本宮には、御祭神として『古事記』神話の住吉大神が祭祀され、以来、世界平和を祈念する様々な祭儀が行われています。 (※生長の家の儀式は、日本においては、日本文化に受け入れられやすい神道形式で祭祀を行っています。) 2014年(平成26年)11月21日に、住吉大神に加え、新たな御祭神として『古事記』の冒頭に記されている天地創造の本源神(唯一絶対神)である、天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)が勧請されました。この祭祀の目的は、唯一絶対神への信仰を深め、宗教や民族、国の違いを超えた宇宙本源の神を明確に意識すると共に、御祭神の御神徳である「ムスビの働き」に注目し、愛と寛容、相互協力による平和と豊かさを地上にもたらすためです。 ( → 詳しくはこちらをご覧ください ) 境内地のご紹介 境内地には龍宮住吉本宮の他にも、龍宮住吉霊宮、七つの燈台、練成道場や温故資料館、創始者・谷口雅春先生の家を復元した「藤棚の家」などの施設があります。 龍宮住吉本宮 出龍宮顕斎殿 龍宮住吉霊宮 七つの燈台 谷口家奥津城 温故資料館 藤棚の家 大鳥居 練成道場 金龍湖と不老橋 境内地マップ 自然環境 総本山の境内地は、総面積約80万坪以上に及び、四方を山々に囲まれた自然豊かな場所です。森の中には多種多様な動植物が生息し、四季折々の美しい景色を楽しむことができます。 神域の樹木 Like 一覧へ 四季の花 Like 一覧へ 生き物たち Like 一覧へ
- 売店商品 | 生長の家総本山 公式サイト
生長の家総本山の売店で取り扱っている商品をご紹介。参拝杵品のボールペンやノートなど頒布しています。ご参拝の際にぜひお立ち寄りください。 売店商品 神の子はちまき・神の子軍手 詳細を見る マフラータオル 詳細を見る ハンカチタオル 詳細を見る 参拝ノート 詳細を見る 付箋紙 詳細を見る 筆ペン 詳細を見る ボールペン(黒色) 詳細を見る ボールペン(2色) 詳細を見る ボールペン(4色) 詳細を見る お問い合わせは生長の家総本山売店係までお電話下さい。 TEL:0959-27-1155
- 神癒祈願 | 生長の家総本山 公式サイト
神癒祈願の意義とお申し込み方法をご紹介。信仰に基づいた祈りにより、病気や人間関係、結婚、進学における悩みなど、あらゆる人生の迷いを解消します。詳しい手続きについてご案内しています。 神 癒 祈 願 生長の家創始者・谷口雅春先生の直接ご指導によって、龍宮住吉本宮の神癒祈願は始められました。龍宮住吉本宮のご神前において、大神の癒しの御働きを乞い願い、総本山の講師により神性開発神癒祈願を実施しております。 『生命の實相』第1巻の頭初(総説)には、次のように記されています。 生命の実相の自性円満を自覚すれば、大生命の癒力が働いて〝神癒〟となります。神癒とは、物質的方法によらず実相円満の自覚によって大生命のお力をよび起こして、われわれの不幸を癒していただく方法であります。 神癒祈願とは、前記の原理に基づいて、未だ自性円満の自覚に達しない人をも、神様の癒しの御働きによって、病気、窮乏、その他あらゆる人生苦を消滅し、人間・神の子としての神性を開発するものです。1回の神癒祈願は21日間で結願(満願)になります。ただし結願後も1カ月間ご神前に祈願用紙を泰安し、神様の祝福を受けて、聖経・讃歌の読誦が行われています。 神性開発神癒祈願 紹介動画 神癒祈願のお守りについて お申し込みについて ・神癒祈願お申し込み用紙に必要事項をお書きください。 ・インターネットでのお申し込みの方は下の「お申込みフォーム」から必要事項を入力してください。(メールアドレスが必要となります) ・電話でのお申し込みは、午前8時40分~午後5時まで受け付けております。(神癒祈願課 電話 0959-27-1130) お申し込みフォームへ (↑ PAYPALでの決済が可能です) 奉納金について ・インターネットから申し込まれた場合、後日改めて祈願内容と申込日をお書きの上「現金書留」または「郵便小為替」で、奉納金(随意)を添えて郵送してください。 ・また、お申込みフォーム内では「PayPal」(カード/口座決済)も可能となっています。 ・代金引換郵便にて、ご自宅でのお支払いも可能です。 (ご希望の方は祭務部神癒祈願課へご連絡ください) ※PAYAL(ペイパル)とはインターネットを利用した支払方法です。PAYALにご登録(登録料は無料)いただくと、登録時に設定した銀行口座から、パソコンやスマートフォンを使用し、生長の家総本山に送金することができます。 ゆうちょ銀行(郵便局)がご自宅から遠い方や、海外にお住いの方には便利な方法です。 詳細はPAYALのサイト をご覧ください。 新規で申し込みの方には、神癒祈願の「お守り」をお届けいたします。その他、神癒祈願の体験(お礼)などがございましたら、住所、氏名、年齢のほか、経過を簡単にお書きいただき、神癒祈願課宛にお送り下さい。 ■神癒祈願課直通 (電話)0959-27-1130 (受付時間 08:40 ~17:00) (FAX)0959-27-1150(24時間) ■郵便番号:851-3394 長崎県西海市西彼町喰場郷1567番地 生長の家総本山神癒祈願課宛 ■奉納金:随意 神癒祈願申し込み用紙 ダウンロード 神癒祈願 facebook 神癒祈願の体験やお礼状を紹介
- 祭事 | 生長の家総本山 公式サイト
生長の家総本山で執り行われる祭典・儀式についてご紹介。年間を通じて行われる行事の詳細をご案内しています。 祭 事 龍宮住吉本宮で執り行われる祭事のご案内 龍宮住吉本宮の祭祀は、生長の家の教えに基づき、御祭神である天之御中主大神・高御産巣日神・神産巣日神のムスビの御神徳を仰ぎ、実相顕現を祈念して執り行われます。 祭典には、秋季大祭をはじめとする恒例祭や御祈祷(お祓い)などがあります。 世界平和実現のための 特 別 誓 願 Like 半年に一度、心を浄化する 大 祓 Like 日々の御祭り 恒 例 祭 Like 人生の節目に神様に感謝する 御 祈 祷 Like 祭 典 報 告 六月晦大祓 2026年6月30日午前10時より「六月晦大祓」が執り行われました。 全国より届けられた大祓人形は御神前に奉安し、祭典後謹んで焼納させていただきました。 三方に納められた大祓人型を御神前に奉安 開式後、まず修祓にて人型を祓い浄めます 祝詞奏上 御神火奉戴 聖経『甘露の法雨』の集団読誦 読誦中に大祓人型を浄化場へ移します 後取にて謹んで移動します 聖経に記されている真理の言葉を送念することにより、神の子の実相が一層顕れてまいります。 祭典後には人型を焼納し、『観世音菩薩讃歌』を読誦させていただきました 浄化の火で焼却された人型 皆様の罪穢れ・悪業悪因縁が消滅し、神の子の実相がさらに顕現することを祈念させていただきました 2025年の祭典報告
- 居住地の自然と文化遺産の豊かさを顕彰 | 生長の家総本山 公式サイト
生長の家では、自然素材を用いた手作りのクラフト活動を推奨しています。この取り組みは、現代の大量生産・大量消費・大量廃棄のライフスタイルから脱却し、自然との調和を目指す新しい生活様式の一環です。手作りを通じて、私たちは自然との一体感を取り戻し、創造する喜びを再認識できます。 居住地の自然と 文化遺産の豊かさを顕彰 現在、生長の家では、居住する地域の自然や文化遺産の豊かさを改めて見直し、固有の自然の恵みと、その自然と調和した文化的伝統に感謝し、自然と人間との深い関わりについて顕彰しています。 (※顕彰とは隠れた善行や功績などを広く知らせることです) 生長の家総本山が所在する西海市は、長崎県西彼杵半島の北部に位置し、西は五島灘、東は大村湾、北は佐世保湾と、三方を海に囲まれた自然豊かな地形を有しています。また、国指定天然記念物の七ツ釜鍾乳洞や重要文化財の西海橋など、歴史的な名所も点在し、地域の文化と自然が調和した魅力的な環境が広がっています 。 居住地の顕彰一覧 これまで総本山職員で顕彰した場所と地図になります。 喰場八幡神社 椎野大神 天久保馬頭観音 多以良内郷の権現岩 上岳神社と一瀬久太郎 下岳郷と大明寺川 西海橋 針尾送信所 ド・ロ神父と出津教会 邦久庵 中浦地区と雨乞い岩 平山郷の金比羅神社 横瀬浦と八ノ子島 早岐瀬戸と茶市 鳥加郷と千日祭 雪浦の自然 川棚町の豊かな森と水 大石大神宮 崎戸町の海の恵 松島 喰場八幡神社 八幡神社の石段 喰場川と飛び石 総本山から車で約5分、喰場川沿いにある喰場八幡神社は、江戸前期に喰場郷の総鎮守として建立されました。喰場郷は令和2年度の国勢調査で人口約340人。ほとんどが山間部で、喰場川の流域には広葉樹の森と多様な動植物が生息しています。豊かな自然が魚や鳥の餌場となったことから、「喰場(じきば)」という地名がついたと伝えられています。また、総本山建立以前、この地域は薪や野草の採取地であり、特に薪は干拓工事の重要な資材でもありました。薪を牛背に積んだ光景は「長堤の帰牧」と呼ばれ、往時の名物風景だったそうです。 総本山の境内には、平安時代の有力者・椎野大膳(しいのだいぜん)を祀る祠堂があります。由来記によれば、「大膳」は官職名で五位の位階に由来し、「四位の大膳」との語呂合わせから椎野大膳という名称が成立したと推察されています。本来「大膳」は宮中の食事を司る役職であり、また「喰場」の「喰」には「食べる」の意味が含まれることから、この地が古くから「食」と深く関わる場所だったことがうかがえます。さらに、龍宮住吉本宮がある「大神平(おおかみだいら)」の地名も、当初は「大膳平」と呼ばれていたと伝わっています。 西海市郷土史研究会の内海悌二会長によると、神社前の道は長崎方面へ向かう唯一の街道で、外海方面への分岐点でもあったため、多くの旅人で賑わっていたそうです。長崎市内を朝出発すれば正午にはこの社前に到着し、旅人たちは川で水を飲み、木陰で弁当を広げて休息しました。旅の安全を祈る参拝とともに、街道警備も行われる場所でした。 神社前の喰場川には飛び石があり、大雨や満潮時には渡ることができません。さらに、本殿へは石段86段を上る頑強な造りです。明治時代に国道206号線が整備されると、旧街道が廃れ、八幡神社は他社と合祀され廃社となりました。しかし、祭礼の日には今も多くの地元の方々が参拝し、信仰が受け継がれています。 椎野大神 椎野大膳のお墓 お茶の水 総本山の境内地に祀られている椎野大神。その御祭神・椎野大膳は、平安時代にこの地の荘園を治めた豪族とされており、実在と伝説の両面から語り継がれています。文久2年(1862年)に大村藩が編纂した『郷村記』には、正暦五年(994年)、大村氏の祖・藤原直澄が大村の地に入国した際、船を母衣崎に寄せ、椎野大膳をはじめとする地元の人々が上陸を出迎えたと記されています。母衣崎は、総本山から約5キロに位置し、現在は四本堂公園の一部となっています。磯辺の湧水は「お茶の水」と呼ばれ、直澄に供した茶に由来する標石が建てられています。また、直澄が腰を掛けたとされる「御腰掛石」は、平らな玄武岩が二つ重なり合い、今もその姿をとどめています。 椎野大膳は、十世紀初めには白崎郷膝行神に住んでいたとされ、近くには大膳の屋敷跡も残ります。現在は竹林に覆われていますが、大村湾を望む景観が広がる場所です。『西彼町郷土誌』によると、椎野大膳は人々から信頼されていた人物で、ある日狩猟のため、現在の総本山のある地に入った際、大蛇と遭遇。これを退けたものの、翌年、再び狩りに出た際にその地で命を落としたと伝えられています。遺体を動かそうとしたところ、「大膳はやらんぞ」との天の声があり、体の一部をその場に、残りを屋敷近くに葬ったとされます。以後、大膳の徳を偲び、村人たちは祠を建てて祀り、「大膳平」と呼ばれた地は「大神平」となり、現在に至ります。椎野大膳は、総本山内の顕斎殿の側にある丘の上に椎野大神として祀られています。 一方、屋敷跡に近い共同墓地には大膳の墓碑も残り、苔に覆われながらも丁寧に手入れされています。今も椎野家にゆかりのある方々によって、静かに守られています。 天久保馬頭観音 馬頭観音像 3つの祠 総本山のある西彼町に隣接する西海町天久保郷には、古くから馬頭観音が祀られています。 馬頭観音については、『馬と石像馬頭観音』(栗田直次郎氏・片山寛明氏 共著)によると、平安時代に真言宗が広まり、六道の思想が民衆の間に浸透する中、観世音菩薩に救いを求める信仰の一つとして誕生したとされています。特に、畜生道に落ちた者の苦しみを救うため、憤怒の相をもって現れたのが馬頭観音であったと伝えられています。やがてその信仰は、飼育される馬や牛の健康と安全を願うものとなり、近年では交通安全の守護としても祈られるようになりました。また、家畜が亡くなった際には、その冥福を祈る柔和な表情の馬頭観音像が彫られるようになったとも記されています。 訪れた馬頭観音は、入り江に面した小高い山の上に祀られており、参道には享保元年(1716年)の記念碑が建てられています。そこには、当時の領主・大村式部公頼が高山御料牧場を設けた際、断崖から落ちて命を落とした馬の霊を慰めるために馬頭観音を祀ったと記されていました。山を登ると三つの祠が並び、中央には元熊野神社観音、右には漁師に信仰された恵比須像、そして左の祠に馬頭観音が安置されています。祠内の馬頭観音像は高さ20センチほどの石像で、三面六臂の形をとり、穏やかな表情をたたえています。 地元では、毎年10月9日に「くんち」と呼ばれる例祭が行われ、祠の注連縄なども住民によって新しく整えられています。また、この地には「馬込」「土手口」「高山」といった地名が今も残されており、かつての牧場や馬に関する記憶が地域に根づいています。 多以良内郷の権現岩 権現岩と岩倉神社上宮 岩倉神社の鳥居 総本山から車で約30分。西彼杵半島の西側、大瀬戸町多以良内郷には、美しい自然の中にそびえる「権現岩」があります。この大岩は、石灰質の断層の東部に位置し、炭酸カルシウムが雨水によって浸食された結果、取り残された巨大な岩です。高さ33m、周囲30mの大きさがあり、近くに立つと、その迫力と存在感に圧倒されます。 『大村郷村記』(藤野保編、第五巻)には、寛文五年(1665年)にこの岩の根元に岩倉権現(岩倉神社上宮)が創建され、「高岩あり、其形奇なり」と記されていま す。その後、明治三十八年には、参拝の便を考慮し、麓の集落近くに岩倉神社下宮が建立され、神様はそちらに遷されました。また、多以良公民館の佐々木館長によると、かつて権現岩は地域の遠足や奉納相撲など、様々な行事の舞台となり、地元の人々に親しまれてきた場所でした。中には、幼い頃に岩に登って度胸試しをしたという話も残されています。地元の方々の手で桜が植えられるなど、自然と共に暮らす姿が今も見られます。現在は高齢化の影響もあり、権現岩まで足を運ぶ人は少なくなっていますが、年に数回、岩倉神社下宮では神事が続けられています。 「権現」とは、仏や菩薩が人々を救うため仮の姿で現れることを意味します。大自然の中で静かに佇むこの岩は、人々の暮らしを見守るように聳えています。 上岳神社と一瀬久太郎 上岳神社 一瀬久太郎の頌徳碑 総本山から車で約5分、上岳郷は大明寺川の中流域に位置し、隣接する下岳郷とともに、江戸時代後期の1836年に新田開発が行われ、稲作が盛んになった地域です。 上岳郷区長の山口定己さんによると、かつてこの一帯は遠浅の干潟で、小さな島々が点在していたといいます。その名残として、現在も高手嶋と呼ばれる小高い丘が残り、往時をしのばせています。新田開発は、干潟に堤防を築き水を排出する干拓工事によって行われました。以前は排水が悪く、作物の栽培に適さない土地でしたが、土砂が川の流れを妨げ、洪水の原因にもなっていました。完成後も、大明寺川が台風によって氾濫すると堤防が破損し、とくに旧暦八月には「八朔潮」と呼ばれる高潮によって大きな被害を受けることもありました。こうした災害を防ぎ、五穀豊穣を祈るため、明治三年(1870年)から上岳神社で「上岳八朔祭」が行われるようになりました。以来150年以上にわたり、毎年8月最終日曜日に開催され、総本山からも玉串奉奠や舞の奉納を通じて、地域の安寧と豊作を祈念しています。 旧暦八月の中秋の名月の頃には、月見を楽しみながら豊作を願う習わしもありました。上岳郷芸能保存会の資料によれば、次のような和歌も伝わっています。 「月月(つきづきに)に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」 この歌には「月」の文字が八回使われており、旧暦8月の満月を「名月」と称える心が込められています。 また、上岳神社の鳥居横には、地域発展に尽くした一瀬久太郎をたたえる頌徳碑があります。ひ孫の一瀬紀子さんによれば、新田完成当初は塩害や害虫、天災などに悩まされていましたが、久太郎は独自の害虫駆除法を伝え、米の増収に貢献しました。さらに、困窮する家庭に米を分け与えたり、医療費を立て替えるなど、多くの善行で村人に慕われたといいます。 八朔祭では、久太郎が始めたとされる「浮立」が奉納されます。これは、大名行列を模して練り歩く伝統芸能で、村を明るく元気づけるために生まれたと伝えられています。以来、上岳神社の総代は代々一瀬家が務め、その志が今も受け継がれています。 下岳郷と大明寺川 大明寺川 下岳龍神祭の浮立 総本山から徒歩約10分の場所にある下岳郷は、大明寺川の下流域に位置しています。この川は全長約7キロメートルで大村湾へと注ぎ、その支流の一つに、総本山の境内を流れる殿井手川があります。 大明寺川の上流ではアラカシやコナラなどの広葉樹が生い茂り、水辺にはカワセミやカルガモなど多様な鳥類が見られます。これらの鳥たちは、時折、総本山の金龍湖にも訪れます。 下岳郷は、江戸時代初期に金山開発で栄え、江戸後期には新田開発が行われた地域です。大明寺川の水を活用した米作りが盛んになり、現在では西彼杵半島でも有数の広大な水田地帯となっています。 西海市郷土史研究会の内海悌二会長によれば、1827年、大村藩の年貢増収政策の一環として新田開発が始まりました。河口が遠浅の干潟であったため、大規模な干拓工事が必要とされ、約9年の歳月をかけて約7ヘクタールの新田が完成しました。今も「大新田」「大潟」「前嶋」「潟口」といった地名に、その歴史が残っています。 この新田により米の生産量が増加し、戦後の食糧難時には、県によって買い上げられ、配給用として多くの米が供出されました。一方で、大明寺川は当時、川幅が狭く、大雨や高潮のたびに堤防が決壊し、水田が水没するなどの被害も多く、人々の生活は常に自然と隣り合わせでした。 そうした天災から水田を守り、五穀豊穣を願って、1857年には市杵島神社が創建されました。『西彼町郷土誌』によると、永富氏が願主となり、雨を司る竜神を祀る祭礼「下岳龍神祭」が始まったとされています。この祭りは、旧暦6月29日に斎行され、当初は下岳八幡宮から市杵島神社への遷宮を行う盛大な祭礼でした。 現在は、下岳神社(1637年創建)の祭礼として、毎年8月29日に執り行われており、「浮立」と呼ばれる伝統芸能が奉納されます。これは、大名行列を模した華やかな練り歩きで、市杵島神社までの約800メートルを盛大に巡行します。 西海橋 西海橋 大串盛多の像 西海橋は、昭和30年(1955年)に西彼杵半島と佐世保市を結ぶ橋として開通しました。現在では、佐世保方面からお越しの際にバスで通過する主要なルートとなっています。令和2年(2020年)、架橋から65年を迎えた西海橋は、戦後に建設された橋として初めて国の重要文化財(建造物)に指定されました。また、日本初の海峡横断橋としても知られています。この橋がかかる「伊の浦瀬戸」は、大村湾と佐世保湾(外海)を結ぶ水道で、干満の時間差により渦潮が発生し、日本三大急潮の一つとされています。古くから航行の難所とされ、江戸時代の絵師・司馬江漢もその様子を描いています。 西彼杵半島は長く「陸の孤島」と呼ばれていました。西海橋の完成は、地域にとって交通革命とも言える出来事であり、今も「夢のかけ橋」と親しまれています。架橋の構想は昭和初期に始まり、昭和11年(1936年)、地元出身の大串盛多議員が初めて県議会で訴えました。戦争や資材不足により計画は中断されますが、昭和25年(1950年)、吉田茂首相の決断により建設が実現しました。建設には当時の最新技術が用いられ、支間長216メートルという日本初の大規模工法や、急潮を避けるための吊り構造などが採用されました。技術者たちは厳しい自然条件の中、昼夜を問わず作業にあたり、西海橋の架橋を成し遂げました。また、建設当初「伊の浦橋」と呼ばれていた名称は、全国から寄せられた約三万三千通の応募の中から「西海橋」に決定。周辺は公園として整備され、現在は桜の名所としても親しまれています。大串盛多議員は橋の完成を見ることなく亡くなりましたが、公園内の胸像が今も橋を見守り続けています。多くの人々の願いと努力の結晶が形となった西海橋。その歴史に触れ、深い感動を覚えました。 針尾送信所 針尾送信所 送信所内部 西海橋の近くにそびえる針尾送信所(旧佐世保無線電信所)は、総本山から車で約25分の場所にあります。高さ約136メートルの無線塔が三本建ち並ぶこの施設は、太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボ レ一二〇八」が中継されたとも伝えられています。 佐世保市教育委員会によると、この三本の塔は長波通信用の電波塔として、大正11年(1922年)に旧海軍によって建設されました。当時の最新技術を用い、通信の要として、中国大陸や南太平洋方面との交信に利用されました。3塔は一辺300メートルの正三角形に配置され、その中心から送られるモールス信号は、空中線を通じて3方向へ発信されました。戦時中、佐世保市は空襲の被害を受けましたが、無線塔は破壊を免れ、戦後もその姿を保ち続けています。戦後、一時は解体も検討されましたが、市民の保存運動により存続が決まり、平成25年には国の重要文化財に指定されました。現在は地元の保存会が草刈りや案内活動を行い、見学者を迎えています。 この無線塔は今年で建設から100年を迎えます。鉄筋が錆びにくい川の玉石を使い、手作業で丁寧に積み上げられた構造は、今なお補強なしで美しい姿を保っています。最近の調査では、今後100年も現状のままで保てるとされています。保存会会長の田平清男さんによると、かつては子どもたちの遊び場でもあり、塔内の梯子を登った思い出が語られています。戦後、引き揚げ者が見た無線塔の姿は、多くの人々の記憶に刻まれており、今でも家族で訪れる方が後を絶ちません。歴史と平和を学ぶ場として親しまれています。 ド・ロ神父と出津教会 ド・ロ神父像 出津教会 総本山から車で約45分の長崎市外海町は人口約3,000人の小さな町ですが、「キリシタンの母郷」とも呼ばれています。明治時代にフランス人のド・ロ神父が建てた出津教会は、ローマ法王に次ぐ地位である枢機卿を二人も輩出した場所として知られています。この出津教会を中心とする出津集落は、ド・ロ神父が信仰と生活の再建に尽力した地域で、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一つとして、2018年に世界文化遺産に登録されました。 16世紀にキリスト教が伝来した際、外海では約2,000人が洗礼を受け、禁教令の下で約250年間、信仰を守り続けました。断崖に囲まれた地形や不便な陸路が、潜伏を可能にしたとも考えられています。明治初期の教会記録によると、カトリックに復帰した信者が約2,900人、潜伏を続けた者が5,000人に上ったとされます。1879年、外海の主任司祭として赴任したド・ロ神父は、貴族出身で多くの実学を身につけて育ちました。来日後、極度の貧困に苦しむ外海の人々の姿を見て、自立の支援に力を注ぎました。1882年には、神父自らの設計による白漆喰の出津教会を完成させ、続けて、女性のための「救助院」を開設。素麺や醤油、パンなどの製造をはじめ、織物工場や薬局、保育所などを次々と設立しました。製品は長崎の外国人に好評で、女性たちの制服には西洋画に描かれた衣装が参考にされました。救助活動は1909年に政府から助成を受けるほど高く評価されています。神父は母国に戻ることなく、35年間にわたり地域の再建に尽くし、74歳で長崎の地にて亡くなりました。 邦久庵 邦久庵 デッキからの眺め 総本山から車で約20分、風早郷に佇む茅葺きのいおり庵「邦久庵」。建築家・池田武邦さんが、終の棲家として2001年に建てられ、池田さんの「邦」と、夫人・久子さんの「久」から名付けられました。池田さんは日本初の超高層ビル「霞が関ビル」を手がけた建築家で、後に「オランダ村」や「ハウステンボス」の設計を手がけ、環境保全を重視した循環型の町づくりに尽力しました。 現在、邦久庵は「邦久庵倶楽部」が維持管理し、一般公開のイベントを通じてその理念を伝えています。7月の公開日には七夕の笹竹が飾られ、平和と自然への願いが短冊に託されていました。 「邦久庵倶楽部」の資料によると、池田さんがこの地に惹かれたのは、長崎出身の女性との面接をきっかけに、戦後療養時に見た大村湾の風景を思い出したからでした。紹介された「琵琶ノ首鼻」からの景色に心を動かされ、土地を取得。地域の方々の協力のもと、まずはコンテナハウスを建てました。岬の岩場にある恵比寿様の祠を見て、「神様の土地を借りて住まわせていただいている」という畏敬の念を抱かれた池田さんは、やがて茅葺き屋根の邦久庵を建築されます。これは、伝統技法を受け継ぐ地元の棟梁にその技術を活かしてほしいという想いからでした。 邦久庵の茅葺き屋根は、断熱性・調湿性に優れ、囲炉裏で火を焚いても煙がこもらない優れた構造。池田さんは茅を「神様が創った素材」と讃えました。2階の屋根裏部屋からはその茅葺きを間近で体感でき、素材の香りや風合いに心が和みます。庵は釘を使わず、九州産の木材を用いた伝統工法で建てられており、随所に先人の知恵が活かされています。また、全ての部屋から大村湾が望めるよう設計され、特に海に迫り出したデッキからの眺望は圧巻です。春分・秋分の日には正面に夕陽が沈み、池田さんはこの場所で星空や潮の満ち引きを眺めながら、自然との対話を楽しまれていました。庵の裏手には、池田さんが提案し実現した石積みの自然護岸があります。海と山のつながりを守るため、コンクリート護岸に反対し、生態系の循環を尊重する設計が施されています。 邦久庵は、自然と共に生きる池田さんの哲学が形になった場所です。 中浦地区と雨乞い岩 中浦ジュリアン像 雨乞い岩 総本山から車で約30分、西海町中浦地区は、五島灘の美しい海と緑豊かな山々に囲まれた自然豊かな小さな集落で、約200世帯の人々が暮らしています。早生ミカンの産地として知られるほか、国指定天然記念物「七釜鍾乳洞」と、天正遣欧使節の一人・中浦ジュリアンの出生地としても有名です。中浦ジュリアンは、キリシタン大名・大村純忠の名代として14歳でローマへ渡り、日本とヨーロッパをつないだ初の公式使節団の一員として歴史に名を刻みました。帰国後は司祭となり、禁教下で布教を続けた末に殉教しました。その後、長らく功績は埋もれていましたが、昭和30年代に教科書で紹介されたことをきっかけに、地元でも顕彰の機運が高まり、2002年には生家跡に「中浦ジュリアン記念公園」が整備されました。 中浦はかつて大陸との交易航路にも位置していたことから、キリスト教が伝わった一方、土着の信仰も今に残ります。ジュリアンの生家近くの海岸には、かつての信仰の場である「雨乞い岩」があり、干ばつの際には岩に水をかけて降雨を祈る行事が行われていました。この祈願が後に「中浦浮立」という神事となり、現在は大名行列を模した躍動感ある祭りとして、4年に一度、宗像神社に奉納されています。その宗像神社の裏手には、仏法を守護し、雨乞いの神としても信仰された八大龍王を祀る小さなお宮があります。『西海町郷土誌』によると、江戸時代初期の慶長年間以前から祀られていたと記されており、この地に根付く自然信仰を物語っています。 中浦地区には「金龍橋」「龍の浦」など、龍にちなんだ地名が多く残っており、七釜鍾乳洞内にも「龍王洞」「龍宮境」といった名称が見られます。この地域一帯に、龍神を自然の力をつかさどる存在として敬う信仰があったことがうかがえます。なお、「雨乞い岩」はその形が蛙に似ていることから、地元では「どんくう岩」とも呼ばれています。「どんくう」とは長崎の方言で蛙を意味し、この名にちなみ、かつては田植えの際に踏んでしまった蛙やおたまじゃくしを供養する「どんくう供養」が行われていました。現在は行事そのものは行われていませんが、田植えの翌日は休日とし、命に思いを馳せる日とされているそうです。 平山郷の金比羅神社 金比羅神社 奉納相撲 総本山から車で約10分。西海市西彼町平山郷の標高218メートルの山頂には、金比羅神社が鎮座しています。麓の駐車場から急な石段を二百段以上登った先には、紺碧の大村湾とリアス式海岸の美しい景色が広がり、地元の方々も誇る景勝の地として親しまれています。頂上には展望台とモニュメントが整備されています。この地は古くから「八人ケ岳」と呼ばれています。『西彼町郷土誌』によれば、文治元年(1185年)、源平合戦の際に平氏を追討していた部隊が暴風雨に遭い、岩穴に避難したものの岩が崩れ、八人全員が亡くなったという伝承が残されています。 金比羅神社は、江戸時代末期、この地に赴任した役人が平山郷の人々のあたたかな人情と風土に感銘を受け、香川県の金刀比羅宮から神様を勧請したのが始まりと伝えられています。金刀比羅宮は海の守り神として信仰されており、平山郷の金比羅神社も、大村湾の海上交通の安全と、地域の心の拠り所として崇められてきました。毎年4月10日に最も近い日曜日に行われる例祭では、願い事が成就したことへの感謝を込めて相撲が奉納されます。「たとえ雨が降っても三十三番取らんといかん」との言い伝えの通り、願をかけた者は三十三番の相撲を奉納し、一本ごとに木の葉を串に刺し、その串を感謝の気持ちとともに祭壇に納めます。 かつては地方の力士たちが大村湾の対岸からも船で集まり、最高位の大関が土俵に立つこともありました。奉納のあとには、西海市の無形民俗文化財「平山礎築音頭」も披露されます。この音頭は、家を建てる際の「地固め」を再現したもので、紅白の布と鈴をつけた丸太を三本の支柱と十二本の綱で持ち上げ、地面に打ちつける動作を繰り返します。その際に歌われる「礎築音頭」は、元寇の防塁工事を鼓舞するために鎌倉時代に歌われたと伝えられ、重機のなかった時代に、人々が声を揃えて作業するための力強い作業歌として伝えられています。 このように金比羅神社では、信仰とともに地域の伝統が今も大切に受け継がれています。 横瀬浦と八ノ子島 横瀬浦港 八ノ子島 総本山から車で約30分の場所にある西海市西海町横瀬郷の横瀬浦は、戦国時代の1562年、ポルトガル船との国際貿易港として開かれた歴史ある港です。波が穏やかで水深があり、周囲の山々や入り江が外敵からの目を遮る地形であったことから、古くから良港として知られてきました。 当時のポルトガル船の来航目的は、交易に加えキリスト教の布教もありましたが、他の港では布教が許されなかった中、横瀬浦の領主・大村純忠は、日本で初めて免税や布教の自由などを認め、国際港として横瀬浦を開いたのです。それまで35軒ほどの農漁村だった横瀬浦は、交易の拠点となると、生糸やコンペイトウなどの珍しい品々を求めて各地の商人が集まり、京や堺に劣らぬ賑わいを見せるようになりました。また、キリスト教の祭礼も盛大に行われ、宣教師ルイス・フロイスが横瀬浦から日本に上陸したことも、布教の拠点であったことを物語っています。 現在、その教会跡地に整備された「横瀬浦公園」には、ローマに向かって手を差し伸べる等身大のフロイス像が立ち、教会風の展望台からは、昔ながらの町並みと穏やかな湾を望むことができます。潮風の中に、かつての国際港として栄えた横瀬浦の姿を感じることができます。 純忠は横瀬浦の教会で洗礼を受け、日本で初めてのキリシタン大名となりますが、神社仏閣を破壊したことにより内紛が起こり、横瀬浦は焼き討ちに遭い、貿易もわずか一年で途絶えてしまいます。その後、純忠は長崎港を開き、横瀬浦の町づくりは長崎に引き継がれました。 深く湾入した地形など、横瀬浦と長崎港の共通点は多く、地元の方々は「長崎港の原型は横瀬浦にある」と誇りをもって語られています。実際、現在の長崎市に残る「上町」「下町」「思案橋」「丸山」といった地名も、もともとは横瀬浦にあった町名が移されたものとされています。 海岸沿いを歩くと、沖合300メートルに位置する八ノ子島が見えてきます。お椀を逆さにしたような形が特徴で、頂上には白い十字架が立ち、地域のシンボルとして親しまれています。十字架は、ポルトガル船の船長が三夜連続で上空に浮かぶ幻影を見たことから建立を命じたと伝えられ、それ以来、航海の目印とされてきました。現在の十字架は、1962年にポルトガル船来航400年を記念して再建されたものです。 横瀬浦の歴史には、日本と世界をつないだ先人たちの勇気と交流の足跡が色濃く刻まれています。 早岐瀬戸と茶市 早岐瀬戸 早岐茶市 総本山から車で約40分の佐世保市早岐地区にある早岐瀬戸は、大村湾と佐世保湾を結ぶ海峡で、潮の干満により流れの向きが逆転する独特な地形を持ちます。「潮の目」と呼ばれる急流が特徴で、『肥前国風土記』には「速来の門(潮流の速い水門)」と記され、この「速来」が「早岐」の地名の 由来とされています。早岐神社にも「速来宮」と書かれた扁額が掲げられています。 また、この地域の干潟には多くの有機物が含まれ、栄養が豊富なため、カブトガニなどの希少生物を含む多様な生き物が生息し、地元では潮干狩りも行われています。 かつて広々とした海峡だった早岐瀬戸は、江戸時代の平戸藩による干拓事業で狭まり、現在は最も狭い部分で幅約10メートルとなりました。それでも交通の要所として栄え、本州・九州を結ぶ海陸の交差点として市場が開かれました。平戸往還という街道が通り、宿場町としても発展し、早岐神社には松尾芭蕉の句碑も残されています。 この地では、周辺地域が茶の産地だったことから「早岐茶市」が開かれるようになりました。江戸時代には縁日に合わせて市が開催され、明治時代には最大で600隻の船が集まり、「九州の茶相場は早岐で決まる」と言われるほどの賑わいを見せました。現在も早岐茶市は毎年5月上旬に開催され、新茶をはじめ海産物、農産物、陶器、民芸品などが取引され、約100軒の露店が立ち並びます。今なお多くの人々に親しまれ、地域のにぎわいを伝える伝統行事として受け継がれています。 鳥加郷と千日祭 鳥加郷 千日祭の提灯 総本山から車で約5分の西彼町鳥加郷は、総本山のある喰場郷に隣り合う山あいの集落です。谷間には水田が広がり、約500人(令和2年国勢調査)の住民が暮らしています。郷の中心を流れる鳥加川流域には、鎌倉時代の石鍋製作遺跡や、江戸時代の金鉱山跡が点在。区長の田添正隆さんによると、かつては豊かな森林資源を活かし、薪や木炭の生産も盛んでした。それらは川を下り大村湾から九州各地へと運ばれ、郷は海上輸送の要衝として栄えました。 田添家には、代々大型船の船主を務めた歴史が残ります。今もご自宅には、当時の羅針盤や船用金庫などが大切に保管されています。こうした商業活動の背景には、郷民に受け継がれる観音信仰がありました。菩提寺・大徳寺の住職、功承さんによれば、鳥加郷では古くから観音様を祀り、「忘己利他」(己を忘れて他を利する)の教えを大切にしてきたといいます。 江戸時代初期、佐賀藩が編纂した『肥前古跡縁起』には、奈良時代の高僧・行基が光を放つ橋を七つに切り海に流し、その材木で観音像を彫ったという伝承が記されています。このうち鳥加郷の入り江に流れ着いた材で祀られた観音は、現在の大徳寺が位置する「観音谷」の起こりとも伝えられています。毎年8月、大徳寺観音堂では「千日祭」を開催。鳥加川両岸に約千個の提灯がともり、参拝すると四万六千日の功徳が得られるとされます。この功徳は、一升(いっしょう)と一生(いっしょう)を掛けた故事にもとづくものです。功承さんは法話で、得た功徳の一部を他者に分け与えることで、観世音菩薩の慈悲を実践する大切さを語ります。古来からの観音信仰は、千日祭を通じて今も郷民の心を結び、互いの喜びや悲しみを分かち合う絆を育んでいます。 雪浦の自然 雪浦川 雪浦ウィーク 総本山から車でおよそ30分の場所にある大瀬戸町雪浦地区は、海、山、川の自然が調和した風景が広がる地域です。森林が地域の約8割を占め、かつてはその資源を活かした炭焼きが盛んに行われていました。山間部には数多くの渓谷があり、下流には落差約20メートルの「つがね落としの滝」が見られ、自然 の力強さと美しさを体感できます。山から流れる清らかな水は、雪浦川となって町の中心をゆるやかに流れ、田畑を潤しながら、景観の一部を形づくっています。河口付近の「雪浦海浜公園」では、朝の散策やマリンスポーツを楽しむ人々の姿が見られ、晴れた日には東シナ海を望む雄大な眺望も広がります。 近年では、自然環境の豊かさと市街地までの交通の便の良さが評価され、子育て世代や趣味を楽しむ高齢者、故郷に戻る人々の移住が増え、地域の人口は徐々に増加しています。また、雪浦は古くから自然を神聖視する信仰が息づく場所でもあります。地元の熊野神社では、毎年10月に例大祭「雪浦くんち」が行われ、浦安の舞や蛇踊り、獅子舞、そして地域の若者による勇壮な「豊年太鼓」が奉納されます。この太鼓は、長年にわたり地域に受け継がれてきた伝統芸能で、自然を敬う心とともに育まれてきました。 さらに、毎年5月の連休には「雪浦ウィーク」が開催され、地域の家庭や工房などが会場となって訪れる人々を迎えます。地元の食材を活かした料理や手づくりの品々、ワークショップ、音楽演奏などが行われ、地域と来訪者との温かな交流が生まれています。こうした雪浦は、自然の恵みと人々の暮らしが調和した地域です。 川棚町の豊かな森と水 虚空蔵山 悠久の森 総本山から車で約50分の川棚町は、令和7年2月現在で約1万2000人が暮らす町です。総本山の対岸に位置し、波静かな大村湾に面して山々に囲まれた風光明媚な土地柄。山間を流れる川棚川沿いの集落は、豊かで肥沃な土壌と川や海の恵みを受けて昔から人々の暮らしを支えてきました。旧長崎街道が町内を貫き、石畳や宿場町の面影が残る風情あふれる町並み。伝統工芸も息づき、地元かまもと窯元では手作りの器や装飾品が並び、訪れる人を魅了します。 町のシンボルは標高608メートルの虚空蔵山。登山口から約40分で山頂に立つと、眼下に川棚町と大村湾の絶景が広がります。平成2年には山周辺の町有林を「悠久の森」として永久保存し、その清らかな湧き水は石木川となって田畑を潤し続けています。石木川沿いには400年以上前から石積みで築かれた棚田が約千枚広がり、四季折々の美しい風景をつくり出します。下流域は「ホタルの里」として知られ、初夏の夜には無数のホタルが幻想的な光を放ちます。 江戸時代に創建された川棚八幡神社には摂社・水神宮が併設され、地下から汲み上げる清水が「ご神水」として親しまれています。こうした川棚町の豊かな森と水の恵みが人々の暮らしを支え潤いを与えています。 大石大神宮 大石と3つの祠 社の裏に突き出している大石 総本山から車で30分の場所にある長崎市琴海村松町の「大石大神宮」は、小高い丘にあり、琴海地区の海を見渡せる場所です。森宮司によれば、この神社を含む琴海地区の神社群は、1612年の大村藩によるキリシタン禁止令後、西彼杵半島に集中して創建された江戸時代初期のものと考えられます。 拝殿に入ると、高さ約2 m・幅約4 mにもなる大きな石が中心に祀られ、祭壇の裏側からは石が飛び出しています。これは、西彼杵変成岩であるこの石がもともとその場所に存在し、その後社殿が築かれたそうです。石の上には三つの祠が並んでおり、中央には主祭神・天照大神、右には金毘羅様が祀られ、左の祠は詳細が分かっていません。 旧・大石村(現・松村町)だったこの地域では、なぜこの石が祀られたかは分からないものの、地元では古来から石を信仰の拠り所として大切にしてきたと伝えられています。また、大石大神宮では毎年5月5日に「五月祓い」という行事が行われます。旧暦5月(現・5月下旬~7月上旬)は、新緑が芽吹き、田植えの時期と重なり、一年のなかで特に緊張感のある季節でした。そのため、心身の不調や疫病、疫神の侵入を防ぐ儀式として行われ、重要な行事とされてきました。さらに、琴海地区内の9社では年間約40の神事が行われ、それぞれ地域特有の加護があるとされています。北部3社は五穀豊穣、半島部2社は大漁と航海安全、そして南部4社(大石大神宮を含む)は長崎市方面からの疫病や外敵を防ぐ役割を担っています。 森宮司はこの伝統を約35年間守り、かつては9社を兼務していました。過疎化による氏子減少の不安があった中でも、総代さんたちの協力で神事を一つも途絶えさせず、現在も地域の信仰を支え続けています。 崎戸町の海の恵 アラカブのバス停 ダイヤソルト工場 総本山から車で約35分の西海市崎戸町は、崎戸島、蛎浦島、江島、平島の四島からなり、人口約1,200人(令和4年3月末現在)の町です。地元の海ではアラカブや鯛、アオリイカなどの高級魚が獲れ、港には釣り人向けの民宿が並び、アラカブをモチーフにしたバス停も見られます。海と人々の暮らしが深く結びついた地域です。とくに、崎戸町は塩の生産量が全国一を誇る地域として知られています。 江戸時代以降、捕鯨と炭鉱で栄え、1907年(明治40年)には海底炭鉱が開かれ、戦中・戦後には人口が2万5千人を超えるほどに。当時、日本一の人口密度とも言われ、物資も豊富で、生活環境が充実していたと伝えられています。しかし、1968年(昭和43年)の炭鉱閉山により町の姿は大きく変わりました。かつての住宅地や市場、映画館などの跡地には、現在、芝生の広場や公園が整備されています。炭鉱が盛んだった頃、2万5千人分の生活用水を確保するのは困難でした。その解決策として注目されたのが製塩でした。塩の製造工程で得られる蒸留水を水道用水として活用できるほか、海水の高い塩分濃度と、低品位の石炭を燃料に使えるという地理的・資源的利点がありました。 こうして1955年(昭和30年)、崎戸製塩株式会社(現ダイヤソルト)が設立され、製塩業が町の基幹産業として発展。水問題を解消しながら、島の経済を支えてきました。現在、ダイヤソルトでは、主に食品加工会社向けの食用塩を製造しており、国内食用塩の約2割、九州では約7割を占めています。イオン交換膜電気透析法を用いることで、塩田を必要とせず、天候にも左右されずに、安定的に高品質な塩を生産しています。2001年には環境ISO14001を取得し、環境への配慮も徹底されています。こうして海の恵みを生かした塩は、全国各地へ届けられ、今も島の暮らしと産業を支え続けています。 松島 桜坂 松島炭鉱(第四坑跡) 西海市・松島は、総本山から車とフェリーで約50分の場所に位置する、信号のない静かな島です。島の周囲は約16キロメートル、人口は約500人で、豊かな自然と歴史が息づいています。 島内には、ソメイヨシノ167本が咲き誇る桜並木「桜坂」があり、桜の季節には、ま るで桜のトンネルをくぐるような爽快なポタリングが楽しめます。この坂道は、著名な歌の名前の由来にもなったと伝えられています。桜坂を上ると、天然記念物のアコウの木があり、その近くには松山神社の祠がたたずみます。この神社は、松島炭鉱の守り神として、かつて愛媛から分霊されたものです。 道を進むと、松島火力発電所が見えてきます。この発電所は長年にわたり県内の電力を支えてきましたが、近年では新たなエネルギーへの転換が進められています。また、島民の手で作られた「日本一小さな公園」もあり、夕日に染まる五島灘を眺めながら、静かな時間を過ごすことができます。島内にはかつての松島炭鉱の第四坑跡が残り、赤レンガの倉庫が当時の産業の痕跡を伝えています。事故で多くの命が失われたこの場所では、今も慰霊と感謝の祈りが捧げられています。島の中央に位置する遠見岳の山頂には、風力発電の風車が設置されており、自然エネルギーの活用が始まっています。 松島は、歴史と産業、そして自然が調和する島です。信号のない道を自転車で巡れば、心も体も解き放たれるような、穏やかなひとときを過ごすことができます。
- 2025年祭典報告 | 生長の家総本山 公式サイト
生長の家総本山で執り行われる祭典・儀式についてご紹介。年間を通じて行われる行事の詳細をご案内しています。 大晦大祓並びに浄心行 2025年12月31日午後2時より執り行われた「大晦大祓並びに浄心行」の様子です。 全国から納められた大祓人形と浄心記載文を神前に奉安し、一年間の罪穢れ・悪業悪因縁を祓い浄めました。 祭典に先立ち、大祓浄心行について説明講話。 祭壇には、「大祓人型」「浄心記載文」及び「組織会員祝福祈願名簿」「聖魂」が奉安されました。 修祓にて祓い浄めます。 半年間の「組織会員祝福祈願名簿」と「聖魂」を龍宮住吉本宮外陣宝筐に謹んで奉安いたしました。 祝詞奏上。 御神火奉戴。 聖経読誦の中、人型は浄化場へ移されます。 後取にて謹んで移されます。 祭場では浄心記載文を焼却。 祭典後、『観世音菩薩讃歌』読誦の中で人型を焼納させていただき、実相顕現を祈念させていただきました。 生長の家秋季大祭 2025年11月21日午前10時より、「第45回龍宮住吉霊宮秋季大祭」、午後1時より「第48回龍宮住吉本宮秋季大祭」が、総裁・谷口雅宣が斎主としてご奉祀され、白鳩会総裁・谷口純子先生ご臨席のもと、厳粛に執り行われました。 また、翌日の11月22日には、「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」が午前10時より執り行われ、信徒一同、大聖師のご生誕をお祝い申し上げ、総裁先生よりお言葉をいただき、運動への意欲を高める機会となりました。 秋季大祭当日は、秋晴れのあたたかな青空に恵まれました。 イチョウの紅葉が美しく境内を飾ります。 11月21日午前10時から執り行われた「龍宮住吉霊宮秋季大祭」。祭典では『大自然讃歌』の一斉読誦を行いました。 龍宮住吉本宮とイチョウ。 午後1時からは「龍宮住吉本宮秋季大祭」が執り行われました。 祭壇には「世界平和実現のための特別誓願券」および神饌田にて収穫されたお米を「稲霊(いねち)」として奉安。 総裁先生による祝詞奏上。 祝詞奏上の後、「特別誓願券奉安の儀」が行われ、誓願券が龍宮住吉本宮内に謹んで納められました。 『観世音菩薩讃歌』の一斉読誦。 万物調和を祈念して「朝日舞」を奉納。 稲霊拝戴。 翌日の11月22日午前10時より「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」が執り行われ、参列者一同、雅春先生のご生誕をお祝い申し上げました。 式典では総裁先生よりお言葉いただきました。 六月晦大祓 2025年6月30日午前10時より執り行われた「六月晦大祓」の様子です。 大祓人形を媒介として、神様の御神徳をいただき、過去の罪穢れ・悪業悪因縁の消滅、実相顕現を祈念しました。 全国の信徒の皆様より納められた大祓人形を神前に奉安 「御神火奉戴の儀」― 神火を拝戴し浄化場へ移します 宮司から祭員へ 聖経「甘露の法雨」読誦の中、大祓人形は浄化場へ謹んで移されます 参列者による集団読誦 浄化場にて「観世音菩薩讃歌」読誦の中、人形焼納の儀が行われました 2025年 祭典報告
- 神域の樹木 | 生長の家総本山 公式サイト
生長の家総本山の境内地に咲く夏の花木をご紹介。四季折々の自然の美しさを感じられる境内で、彩り豊かな夏の植物をお楽しみください。 神域の樹木 桜の木 柿の木 山茶花と椿 梅の木 杉 榊 山桃 ヒノキ 樫の木と炭作り 楢の木と椎茸栽培 オガタマの木 孟宗竹と筍掘り
- 年越し参り | 生長の家総本山 公式サイト
● Zoom接続先情報 拝聴する動画:【清超先生と『飛鳥讃歌』】(2024年11月3日公開) テキスト :『飛鳥讃歌』 「プログラム」 10:15 zoom 参加者入室開始 10:30 ネットフォーラム開始 開始の祈り、挨拶・・・竹嶋 裕之 総務 10:35 九折スタジオ動画 拝聴(約20分) 【清超先生と『飛鳥讃歌』】 10:55 座談会(20分) 総本山の講師陣を含んで、 動画の感想をシェア 11:15 境内地の様子紹介 (屋外からの映像配信) 11:30 神癒祈願説明 11:45 終了 ※ 視聴のみの参加も可能です。 龍宮住吉本宮 「年越し参り」のご案内 年越しの大晦日から 元旦にかけて、総本山では「大祓浄心行」「四方礼拝浄化の御儀」「歳旦感謝祭」などの行事を行います。大晦日には一年を振り返り、心に積もった罪穢れを祓い浄め、真っさらな気持ちで新年を迎えた元旦には、奥津城前展望台において天地四方の万物を拝む「四方礼拝浄化の御儀」を行います。その後、「元旦奥津城参拝」「初日の出」といった行事を通して、新年を清らかな心で迎えます。年末年始の節目に心を浄め、神の子として新生し、大自然の恩恵に感謝して、調和に満ちた一年をスタートさせましょう。 年末年始の行事について 行事へはどなたでもご参加いただけます。ご希望の方は以下の要項にてご参加下さい。なお、初詣対応のため、送迎ならびに練成道場での宿泊・食事のご提供ができません。 あらかじめご了承ください。 大晦大祓浄心行 並びに組織会員祝福祈願名簿・聖魂奉安の儀 日時: 2025年12月31日(水) 午後1時00分~ 場所: 顕斎殿 ❖ 13:00 大祓浄心行 説明講話 (竹嶋 裕之 講師) ❖ 13:30 浄心文記載 ❖ 14:00 大祓浄心行 持ち物:聖経『甘露の法雨』『聖使命菩薩讃偈』『観世音菩薩讃歌』、筆記用具 祭典後、浄化場にて『観世音菩薩讃歌』の一斉読誦を行います。終了は午後4時頃となります。 神前に奉安した大祓人型を浄化 祭典の中で浄心行を実習 四方礼拝浄化の御儀 他 日時: 2026年1月1日(木) 午前6時50分~ 場所: 奥津城前展望広場 ❖ 6:50 四方礼拝浄化の御儀 ❖ 7:05 元旦 奥津城参拝 ❖ 7:23 初日の出 奥津城へは「第一駐車場前」より総本山バスによる送迎がありますのでご乗車ください。 バスは6時40分出発 の一便のみとなります。(安全のため自家用車での奥津城登頂はご遠慮ください) 引き続き、歳旦感謝祭にご参列される場合は「顕斎殿左百畳の間」が控室(休憩所・暖房あり)となっていますのでご利用ください。 四方礼拝浄化の御儀。儀式の中で「地上天国実現の祈り」を拝読。 奥津城での初詣。先生方に感謝を捧げ、一年の安寧を祈ります。 マップの駐車場に午前6時40分までにご集合ください。 顕斎殿内には、参拝者用の休憩所がございます。拝殿正面から入って左手に、百畳敷きの大広間がありますので、どうぞご利用ください。 歳旦感謝祭・初詣 日時: 2026年1月1日(木) 午前8時20分~ 場所: 顕斎殿 ❖ 8:20 歳旦感謝祭 ❖ 9:00 初詣 祭典後はご自由にご参拝いただけます。 新春お祓いの受付、お守り・神霊符などの授与品・縁起物の授与などを行っております。また甘酒をふるまっております。 一年の安寧を神に祈る「歳旦感謝祭」 初 詣 授与品の授与 甘酒のふるまい 皆様のお越しを心よりお待ちしております。
- 省資源・低炭素の生活法 | 生長の家総本山 公式サイト
生長の家総本山で実践しているノーミート・低炭素の食生活の事例を紹介。無農薬・有機栽培で育てた食材を使用した料理など 省資源・低炭素の 生活法 ISO14001の取得 平成13年、生長の家は宗教団体として初めて国際規格「ISO14001」を国際本部事務所と総本山で取得しました。以来、国内全66カ所の拠点で認証取得を実現しています。ISO14001は、組織が環境マネジメントシステム(EMS)を構築し、環境パフォーマンスを向上させるための国際規格で、「環境方針」は組織の環境に対する方向性を示すものです。生長の家では以下の環境方針を掲げ、地球環境保全に取り組んでいます。 地球社会の一員として 宗教法人「生長の家」布教・環境方針 基本認識 生長の家は、1930年(昭和5年)の立教以来、「天地の万物に感謝せよ」との教えにもとづき、全人類に「人間・神の子」の真理を宣布し、万物を神の生命(いのち)、仏の生命(いのち)と拝む生き方をひろめてきた。⼈類はその間、世界大戦と冷戦を経験しながらも平和への希求を絶やすことなく、人口急増の中で経済発展をなしとげてきた。 しかし、人類は幸福追求を急ぐあまり、他の生物種や自然環境を顧みない思想と生き方が災いして、資源やエネルギーの大量消費、温室効果ガスを含む有害物質の大量排出などにより、立教から90 余年をへた今、地球の自然環境は深刻な劣化状態に至っている。即ち、地球温暖化は不可逆的なレベルに近づき、その結果である気候変動は世界各地に災害を頻発させ、食糧の減産を引き起こし、難民や移民は増加を続け、政治的経済的な排外主義の台頭により、各国に政情不安が起こっている。これらは次世代以降にも及ぶ深刻な問題である。 このような中で、吾々人類に必要なことは、自然と人間を“別物”と考えて搾取の対象とするのではなく、大自然の恩恵に感謝し、山も川も草も木も鉱物もエネルギーもすべて神の生命(いのち)、仏の生命(いのち)の現れであると拝み、それらと「共に生かさせていただく」という宗教心である。生長の家は、この宗教心にもとづく生活の実践こそ、地球規模の広がりをもつ現在の諸問題を解決する鍵であると考える。 生長の家は、この宗教心を広く世界に伝えると共に、現代的な意味での宗教生活の実践として“自然と共に伸びる”生き方を開発し、あらゆる活動を通して温暖化の抑制と地球環境保全に貢献するだけでなく、気候変動や地震・津波などの自然災害の影響などで困窮する人類同胞の救援・支援を展開するものである。 布教・環境方針(音声) 00:00 / 02:34 自然エネルギーの活用 自然との共生を目指した取り組みの一環として、自然エネルギーの活用を積極的に進めています。その実現のため、太陽光発電をはじめとする再生可能エネルギーの導入や、森林資源を活かしたチップボイラーの設置など多角的な取り組みを行なっています。こうした取り組みは、地下資源である化石燃料の依存を減らし、CO₂の排出削減や環境負荷の軽減につながっており、持続可能な生活を実現するための重要なステップとなっています。 太陽光発電 太陽光パネル温故資料館前 温故資料館の前に設置されている太陽光発電装置と練成道場の屋根に設置されている装置とあわせて160Kwの発電が可能です。 太陽光発電 太陽光パネル練成道場屋根 この太陽光発電装置は、「微結晶薄膜タンデム型」と呼ばれる当時の新技術を採用しています。実際に設置されたパネルは、従来の結晶系パネルに比べて、きめが細かくて結晶ムラが少なく紫掛かった濃い色をしています。 緩速濾過装置 緩速濾過装置 以前は境内地の生活用水をすべてを地下水に頼っていましたが、地下水の減少を受け、現在は緩速濾過装置の導入し、境内地に流れる渓流の水を活用しています。濾過装置には1日60トン以上の水が流れ込み、大型行事で使用する水も十分賄うことができています。 緩速濾過装置 渓流 山の中を流れる清流。この辺りの土地は大岩が多く、岩の隙間をぬいようにして静かに水が流れています。 緩速濾過装置 ストレーナー ストレーナーと呼ばれる取水口は龍宮住吉本宮裏手の森の高い位置にあり、ここから川の表流水を取り入れています。 緩速濾過装置 原水槽 原水槽に流れ込む山の水の量は1日で約60トンあります。自然流下で水を引けるため、ポンプを使う必要がありません。濾過までの工程でも電力使用を最小限に抑えています。 緩速濾過装置 濾過槽 濾過槽には砂利が敷き詰められ、ゆっくり時間をかけて濾過されます。その中に生息する微生物群により水が浄化されていきます。 緩速濾過装置 薬注装置 濾過された水は最後に装置を使用し塩素消毒しています。 緩速濾過装置 お風呂の水 こうして浄化された水はお風呂の水や飲料水などの生活用水として使用しています。 バイオマスチップボイラー 木質チップ 生長の家総本山では、お風呂の加熱に環境負荷の少ないチップボイラーを導入しています。チップボイラーとは、木片(木質チップ)を燃やしてお風呂などを沸かすための熱量を得るボイラーのことで、地元産の木質チップを使用することで、CO₂削減とウッドマイレージの低減に取り組んでいます。 バイオマスチップボイラー チップボイラー 2010年に導入したチップボイラーは、地元長崎県の(株)三基が設計製造したものです。現在、練成会などの諸行事におけるお風呂の給湯として活用しています。 バイオマスチップボイラー 炉内 チップを縦型筒状の燃焼炉に横から送り、その過程で燃焼炉の熱で乾燥させた上で投入、空気を送り込んで完全燃焼させるというシンプルな構造を採用しています。木質チップは元来水分を多く含んでいるため、燃焼制御が難しいとされていますが、総本山では事前に天日乾燥させて含水量を下げた木質チップを利用するなど、不完全燃焼を起こしにくくしています。(写真は耐熱窓から見た炉内の様子。炉内の縦棒は空気を送る通風管) 炭素ゼロに向けての取り組み 敷地の広さは80万坪以上にもおよび、森林を適切に管理するため必要に応じて間伐を行っています。これにより、森林の二酸化炭素吸収量を高め、健全な森づくりに努めています。あわせて、電気自動車の導入や自転車通勤の推進にも取り組み、事業所としての炭素ゼロを実現しています。自然との調和を大切にしたこれらの取り組みは、環境への負荷を抑えた持続可能な運営へとつながっています。 森林の間伐 安全祈願祭 森林の間伐に先立ち、伐木安全祈願祭を行っています。祭典では伐採場所を祓い浄めた後、『大自然讃歌』を読誦して森の恩恵に改めて感謝し作業の安全を祈願しています。 森林の間伐 間伐作業 安全祈願祭を終えた後、間伐作業を行います。毎年過密になった木々を伐採することで、森林内に光が差し込み、健全な成長を促す環境が整えられます。 森林の間伐 木材の活用 間伐材(ヒノキ)は地元の森林組合で製材していただき、資材として活用しています。 低炭素の移動手段 電気自動車 環境負荷の少ない移動手段として、現在6台の電気自動車を導入し活用しています。 低炭素の移動手段 自転車通勤 職員の移動手段として自転車や徒歩通勤を推奨しています。環境負荷を減らし、さらには健康促進にもつながります。
- オープン食堂 | 生長の家総本山 公式サイト
地域に根ざして人々の暮らしに寄り添う“生長の家オープン食堂”を全国各地で開設しています。この活動は、人と会う、話ができる、決して豪華でないけれども食事が頂ける――そんな場を提供させていただく中で、人々の“心の受け皿”となる開かれた場を提供することを通して、お互いが声を掛け合い助け合う社会の再生を目指しています。 オープン食堂 地域の人々と気軽につながりをもてる、誰にでも開放された場所 生長の家では、地域に根ざして人々の暮らしに寄り添う“生長の家オープン食堂”を全国各地で開設しています。この活動は、人と会う、話ができる、決して豪華でないけれども食事が頂ける――そんな場を提供させていただく中で、人々の“心の受け皿”となる開かれた場を提供することを通して、お互いが声を掛け合い助け合う社会の再生を目指しています。 2026年 生長の家総本山 オープン食堂 開催予定日 3月15日(日) 4月19日(日) 7月26日(日) 9月13日(日) 10月25日(日) 12月27日(日) 場所 生長の家総本山練成道場食堂 時間 11:30~13:30 食事代 無料 食事数 先着50食 ※お気持ちを頂ける場合は、会場内の募金箱へお納めください。 お悩み相談も行っています。 練成道場食堂 地産地消で旬のノーミート料理をご提供
